岩波新書(新赤版 400)
出版社:岩波書店
ISBN:4-00-430400-8
発売:1995/07
一九四八年(十五歳)「…今是非ほしいもの.一,白ズボン 二,ラケット 三,風呂しき 四,自転車 みんな夢である」.一九六七年(三十四歳)「…コラム執筆…魚屋に寄りサバ二本求む…百グラム二十円にて二百二十円也」.身辺の出来事,友人たちや家族とのかかわり,読書の随想から旅の記録まで,五十年にわたり書き綴られた作家の日記.
学校の図書館で資料を探しているときに、ふと目に止まったこの本。
「五木さんの日記かぁ〜、これは面白そうだ」ということで借りて読んでみることに。
僕は五木さんに関しては小説よりもエッセイの方が馴染みが深いので、あまり自信をもっては言えませんが、ところどころ、「これはあの小説の着想となった出来事なんじゃないかな」と思うような部分があって、なかなか興味深かったです。
冒頭の10代の頃の日記を読んでいるときから、きっと余所行きの文章に書き直しているんだろうなぁという感じの文章で、後年の方になると、特に文章が表向きというか、誰かに読まれることをかなり意識している風に感じたのですが、「まえがき」によると、そもそもこの本に掲載されている日記はほとんどが雑誌などの連載からの抜き出しということで納得。
「まえがき」で五木さん本人が述べているように、深い部分で何を考えていたのかなど、その辺りは見えてきませんが、何をして過ごしたかという、最低限、出来事を列挙した日記として成り立っているので、五木さんが好きな人だったり、興味のある人は読んでみたら面白いかもしれません。
僕は結構興味津々な内容でした。
日記形式だから流し読みするような感じで気軽に読めたし。
作家としてデビューした後よりも10代、20代の若い頃の日記にページ数を割いてあって、30代以降、「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞を受賞した当日の日記や、昭和から平成に年号が変わったときの日記などは目を引きましたが、印象に残ったのはどちらかというと若い頃の日記。
以下に気になった部分を引用しておきます。
19歳の日記(1952年) 9月26日金曜
どうも近頃神経が細くなってきてしまった。こんなセーターを着て学校に行ったらクラスの連中がどう思うだろう、とか、角帽などかぶって行ったらソ研の連中からケイベツされるかも知れないなどと、いつも心のしこりが僕をひるませる。
全くの話他人がどう思おうと、それが、客観的に変でない限り自分のしたい事に気兼ねすることはないんだ。(『日記』:134)
19歳ということなので、大学に通っていた頃の日記ですね。
僕も大学に入った頃、一時期、「他人の目」が過敏に気になることがありました。
今は、「もうどうでもいいや。」という風に気にしなくなりましたが、実はこういう経験って多くの大学生がしているらしいですね。どこかにあった調査結果で見た覚えがあります。
五木さんにもそういう時期があったんだなぁと少し心強くなりました。
19歳の日記(1952年) 10月8日
今の僕は今までになく性慾に悩まされている。女であれば、どんな奴でも良いと思う事さえあるのだ。
セーラーの女学生など連れて歩いている学生などを見て腹を立てたりはしないまでも、何となくくやしいような気がする。(『日記』:150)
共感を覚えるとは、なんだか素直に言い切れない部分がありますが、
「へぇ・・・(やっぱり、そうだよな)」ということで(^^;)
これで終わるのも何なので、青年期に誰もが抱いたであろう、「漠然とした不安」というか、迷いが見える部分を引用しておきます。
今まさにこの時期、僕はこういう気持ちになることが多いです。
20歳の日記(1953年) 1月15日
<ひとりごと>
……今の所なにをやってもつまらない。何か、すごく美しいもの、激しいものにぶつかりたいと思いながらも平凡な毎日を送っている、アヴァンチュールを思う。
こんなつまらない生活にいやけがさして来た。
情熱がとまどっている。
何か来い。俺にぶつかって来い。(『日記』:169)


