CHILDREN OF MEN (2006)
監督:アルフォンソ・キュアロン
製作総指揮:アーミアン・バーンスタイン、トーマス・A・ブリス 原作:P・D・ジェイムズ
音楽:ジョン・タヴナー 脚本:アルフォンソ・キュアロン 、ティモシー・J・セクストン
西暦2027年、人類は18年間の長期に渡って子どもが生まれない未曾有の異常事態が続いており、このままでは人類絶滅の危機は免れなかった。そんな中、国家の仕事に就くセオ(クライヴ・オーウェン)が、人類存続に関係する重要な情報を握り始める。人類の未来はおろか自分の将来でさえ興味を示さないセオだったが……。
『ハリーポッターとアズカバンの囚人』を見てアルフォンソ・キュアロン監督に興味が出たので、レンタルしてみました。
見始めてすぐ気が付くのは、この映画、フィルムの長回しが結構頻繁にされているという点。
たま〜に長回しという手法を取る監督がいますが、それ自体に関しては、僕は「そんなの製作者や役者の自己満足じゃん」という感想をかねてからもっていました。
以前テレビで放映されていた三谷幸喜監督・脚本の『THE 有頂天ホテル』を見たときにもやっぱりそんなことを思いました。あの映画も「長回し」がひとつのウリみたいなところがありましたが、観客として見ていても「よくセリフかまずに言えたね」ぐらいのことしか思えないし、そこだけにしか関心がいかない。
「何のためにその手法をとる訳?」っていうのが一番の疑問で、何か効果を狙ってやるならいいけど、それ自体が目的になっているところがあると、観客の視点に立って欲しいなぁとか思っちゃったりするわけです。
本作、『トゥモロー・ワールド』もしばらくそんなことを考えながら見ていました。「別にやらなくてもいいよね」位に考えていたのです。
ただ、一応触れておきたいのですが、本作の長回しは『有頂天ホテル』のような「よくセリフ間違えずに言えたね」程度のものではありません。何より派手なアクションが多いし、危険の伴うスタントもあり、画面に登場する人数もかなり多い。(wikipediaによるとCGも結構使っているようです)
でもでも、本作の長回しに意味があるのかというと、やっぱり「効果」というものがあまり見出せませんでした。
しかし! 本編を最後まで見ると「効果」がじわじわと感じられてくるのです。
本作における長回しはきちんと観客に対して「何か」を感じさせる目的で使われているということが。(しかも作品のテーマや世界観から逸脱せずに)
特に終盤の銃撃戦の長回しは、この部分だけを目的に作品を見るのもありじゃないかという位の「効果」を感じました。とにかくリアルなのです。戦場の銃撃戦では、銃弾が飛び交い、次々と人が撃ち殺され、建物が爆発し、粉塵が舞う、それが一連の流れで延々と映像が映し出される。まさに「何が起こるかわからない、いつ死んでもおかしくない」というリアリティに満ち溢れている。
結局、見終わったあとに、あらゆることが出来事として起こり、それを切り抜けていくという「奇跡」(=「運命」)を暗示させる目的で「長回し」を演出の手段に使ったのだと個人的には感じました。
劇中のセリフにも出てくるように「運命」は、この映画の重要なテーマのひとつです。
ということで、今回はこの「長回し」という手法に字数を割いて感想を書きました。
映像という点では面白いし、一見に値する作品だとは思います。
『ハリー・ポッター』を見たときと同じように本作も「これどうやって撮ってるんだろう?」というシーンが沢山でした。
ただ、ストーリーははっきりいってありふれた設定だし、作品の中での位置づけもややおざなりな感じはしました。細かい部分がはっきりしていないので、「すごい映画」ではあるけど、SF映画が見たいと思って鑑賞した僕には、「こんなはずじゃなかった」という気持ちも・・・。
SF的な発想が発端になっているだけっていう感じなんだよなぁ。特に後半は『戦場のピアニスト』を髣髴とさせるほど、重いし、暗い。
一応原作は『人類の子供たち』(P・D・ジェイムズ)という小説なのですが、参考程度にしか使わなかったらしいです。
総括すると、「まあまあ」かな。
期待していたのと違ったっていうのが大きいけど。
万人に向けたエンターテイメントというより、物好きな人向けで実験的な意味合いが強い作品かもしれません。映像の撮り方、役者の使い方(脚本)、音楽の使い方、などが独特なので、「普通とは違う映画」が見たい方が見たら満足できるのではないかと思います。
お正月にはもっと軽い感じの映画を見ようっと・・・。
Children Of Men Trailer
メイキング(字幕無しです)↓
Children of Men - Making Of
http://jp.youtube.com/watch?v=4A55xTYXMpI



