今日はNHK・BSのハイビジョンで「夢の音楽堂 世界最高のオーケストラ ベルリン・フィルのすべて」と題した7時間にもわたるベルリンフィルの特集番組を放送していました。これまで楽団の指揮台に立ったベルリンフィルゆかりの指揮者との演奏が一気に聴けるというもの。番組内で取り上げた曲目は以下のとおり。
ムソルグスキー「展覧会の絵」(サイモン・ラトル)
R.シュトラウス「ティル・オイレンシュピーゲル」(ウィルヘルム・フルトヴェングラー)
ブラームス 交響曲第4番から(ヘルベルト・フォン・カラヤン)
ショスタコーヴィチ 交響曲第8番(クルト・ザンデルリング)
ヴェルディ「レクイエム」から(クラウディオ・アバド)
ブルックナー 交響曲第9番(ギュンター・ヴァント)
チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」(小澤征爾)
用事を済ませて家に帰ってから見始めたのですが、ザンデルリンクのショスタコーヴィチから小澤征爾の悲愴まで、4時間ぶっとおしで見ちゃいました。
なかなかヘヴィーだったぜ、ふう(´3`)
つうかDVDに録っておけば良かったな。まあ今更気づいても遅い。
一番印象に残ったのは、ヴァントのブルックナー。そもそも番組の内容をチェックしたときからヴァントのブルックナーが一番見たい曲目でした。

ヴァントは指揮台に登るまでは誰か一人に支えになってもらいながらゆっくり歩いていってました。
しかし、指揮台の上に立ち曲を振り出したら「さっきの何だったの?」というくらいに動きが全く老いぼれていないのです。全くといったらおおげさかもしれないけど、80代後半の老人にしては気力が内側にみなぎっているように感じられました。

足が悪いのか指揮をしながら体の向きを変えたりはほとんどしていませんでしたが、それを補う鋭い眼光にこの人の凄みを感じます。指揮者は衰えて体が動かなくなってくると、目の力で指揮をするということを聞いたことがありますが、ここまでオーラを放つ人はなかなかいないですよね。

そして、もちろん演奏も素晴らしい。素晴らしいと言うのが適切なのか一体なんて言えばいいのか。
ただでさえ表現力の乏しい僕なのですが、ブルックナーの音楽って自分がしっかりと音楽に入り込むことができたときに、それを表現するためのいい言葉が見つからないんですよね。
「ブルックナーの音楽とは何か?」と問われて僕が思い浮かぶのは「無」という概念なんですが、無理やり話すとそれってつまりは人間ではなく音そのもの、それのみが浮かび上がってくるという感覚なのかもしれない。そこに人間を超越したものの存在を感じ取るわけです。(なのでここでいう「無」とは厳密な意味では「無」という状態ではないんですけどね・・・)
逆に言えばブルックナーの音を聴くときにそこには指揮者という存在や演奏者という存在をあまり感じたくないのです、僕の場合。
聴いていて指揮者の色やエゴを感じ取るとブルックナーの神秘的な魅力が損なわれるような気がするのです。このヴァントという指揮者はそういう意味でブルックナーの音楽そのものを表現しようとしていると僕は感じます。

曲が終わった後に、スタジオにいたゲストの吉松隆さんも、(意訳ですが)「ブルックナーの音楽に限っては若手が張り切ってオーケストラを引っ張っていくよりも、ヴァントのような人が指揮台に立ったほうが上手くいくんですよね」というようなことを言ってました。

ヴァントの他にも、小澤征爾が今年1月に行われたカラヤン生誕100周年記念コンサートで振ったチャイコフスキーの「悲愴」も実に説得力のある演奏でした。
収録された映像を通して、生で聴いた人の感動が伝わってくることはなかなかないものですが、当日の演奏模様がそのまま伝わってくるようで臨場感がありました。リハーサル映像も少しだけですが紹介されていて実に興味深かったです。

